序文
オオタファインアーツでは、ジャオ・ヤオ(趙要・1981年中国生まれ)の日本初個展『まあ普通、でも・・・』を開催します。ジャオは中国で“80後(バーリンホウ)”と呼ばれる世代を代表するコンセプチュアル・アーティストで、その作品は絵画、インスタレーション、写真、ビデオ、パフォーマンスなど多岐にわたります。一貫した厳格さを持つコンセプチュアルな制作手法がキュレーターらの目に留まり、「タイランド・ビエンナーレ2025」やアメリカの歴史ある現代美術ビエンナーレに参加することも決定しました。今展では、ピラミデビルのオオタファインアーツでペインティングを、国立新美術館そばの7CHOMEで石を用いたインスタレーションを展示します。
ジャオの創作活動は、日常の経験と芸術上の経験との架け橋を築くこと、あるいは両方の経験を結集して作品を生み出すことに主眼を置いています。観客は見るもの・感じるもの・触れるもの・聴くものを日々の体験と重ね合わせながら、物質性・形・目の前のあらゆるものの意味を探ること、そのために知覚を複雑に駆使することを迫られます。
このページでは、ジャオの代表作である《A Painting of Thought(考えのある絵)》シリーズの成り立ちと、その思想的構造を紐解きます。ピラミデビルにて展示されている作品群は、一見すると、プラスチックのおもちゃを思わせるような艶やかなアクリル絵の具の図形が、パズルのように並べられた絵画です。しかしその表面の奥に隠された工程をたどるとき、私たちは《A Painting of Thought(考えのある絵)》というタイトルの通り、ジャオ・ヤオが“考える”という行為そのものを可視化しようとしていることに気づきます。
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Zhao YaoA Painting of Thought III-366, 2025Acrylic on found fabric200 x 180 cm
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Zhao YaoA Painting of Thought I-506, 2024 - 2025Acrylic on found fabric166 x 166 cm
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Zhao YaoA Painting of Thought IV-SG18, 2018 - 2019Acrylic on found fabric180 x 180 cm
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Zhao YaoA Painting of Thought I-483, 2024 - 2025Acrylic on found fabric180 x 176 cm
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ボトムレイヤー(支持体)
本来であれば絵画の支持体にはキャンバスが用いられますが、ジャオ・ヤオはそれに代えて、中国各地を旅しながら見つけた布を用いています。
彼は織物市場や農村を訪ね歩き、人々の手で縫われたベッドシーツを探します。こうした布は、それぞれの村や地域に特有の模様をもち、ひとつとして同じものはありません。中には機械生産の布もありますが、多くは手仕事の跡を残しています。ジャオはこの“ありふれた布地”を作品の基盤として選び取り、生活の痕跡そのものを絵画の土台へと変換します。中国のデジタル経済が急速に拡大し、地方の手工芸が失われつつある現在、彼にとってこの布を探す行為は、社会の変化を記録し、時間の層を集めることに等しいのです。こうした「時間を集める」態度は、彼が綴るようになった日記にも通じています。彼はその中で、生地を探す体験について次のように記しています。日記抜粋:2019年6月1日
「数年前に虎門を訪れたとき、市場はまだ活気に満ちていた。その時は広州から深圳まで車でひとりで運転し、途中で虎門の軽繊維市場に立ち寄った。今回訪れてみると、1階だけがやや賑わいを見せていたが、上階はほとんど廃れていた。広州の軽繊維城も変わらず同じ姿を保ってはいるが、全体としては縮小し、核心部分だけが残っている。
いまでは、上海でも広州でも、繁華な街並みにシャッターを下ろした店が目立つ。かつては見られなかった光景だ。人々は長期的な視野を欠いたまま、無秩序に建設を進め、その結果、すべてが老朽化し、衰退していく。更新どころか、処分すら困難になっている。
おそらく芸術も同じだろう。昂揚した状態では多くの衝動が生まれ、一時的な作品が生み出される。しかし、長期的で安定した発展には、地道な一歩一歩の積み重ねが必要だ。
この30年の繁栄のエネルギーが徐々に薄れていくなかで、世界と自己はいかなる形で存在し、向き合うのだろうか。この繁華の上に、衰退の変化とその気配をも内包し、それらを作品に刻み込まなければならない。急速な歴史の変化は、私たちのかつての無数の認識を変えてしまう。思考構造においても、具体的な結果においても、すべて同じである。」 -
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トップレイヤー(表層)
表層をかたちづくるアクリルの構成は、中国の教育現場で用いられる『1000道题(千の問題)』という脳トレ本に登場する、知的遊戯としての図式に着想を得ています。一見すると、ペインティングは切り抜かれた形やグリッドを貼り合わせたコラージュのように見えますが、近づいて見るとまったく異なることがわかります。
ジャオはアクリル絵具を筆で幾重にも塗り重ね、理想とする厚みと深さが得られるまでこの作業を繰り返します。その後、表面を研磨し、滑らかで光沢のある層をつくり出していきます。一つの形を塗っているあいだ、周囲はマスキングテープで覆われ、乾燥と研磨を経て、次の領域へと移る──その緻密なプロセスを画面全体にわたって繰り返します。
同時に、制作の進行を詳細に記録したプロダクション・チャートも作成しています。たとえば《A Painting of Thought I-506》では、2024年10月31日から構想を始め、翌年1月2日から2月18日にかけて「A1」と記されたエリアの制作を行いました。塗り重ねた層の数は日ごとに正の字で記され、1月5日には3層、翌6日には4層というように、筆の一回一回が時間の印となって積み重ねられていきます。記録には「貼る」「平らになるまで研ぐ」「さらに研ぐ」「cut(カット)」などの工程も細かく書き込まれ、完成までの全過程が一枚の表として可視化されています。
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結び
こうしたジャオの素材へのアプローチは、私たちの知覚と概念を揺さぶる体験をもたらします。 大きなベッドシーツほどのサイズ感をもつ絵画、そして脳トレ・パズルの本に見られる図式――いずれも、かつて“使う”ことを目的にデザインされ、人をより美しく、あるいは賢くするための“実用”の機能を持っていました。 それらのどこか見覚えのある要素を前に、私たちは、何をもって絵画は絵画たりうるのか、そしてどのような行為が絵画を「描く」ことと言えるのか。その在り方を静かに問われます。
10年以上にわたって続く《A Painting of Thought》シリーズは、その歩みの途中でパンデミックという静寂の時間を経て、彼に“単純さ”という新たな価値との出会いをもたらしました。寡黙で几帳面なジャオは、多くの時間を独りの思索と対話に費やし、少しずつ思考をほどいていきます。展覧会タイトル『まあ普通、でも・・・』は、そうした彼のまなざし──“平凡”の中に潜む豊かさや力を見つめる姿勢──を端的に示しています。その思索の片鱗は、下記の日記からもうかがうことができます。
日記抜粋:2025年2月25日
「III-408の実際の制作から見て、《A Painting of Thought》シリーズは、より生活や日常感覚に近い気質を保つべきだと感じる。以前のような秩序的な重ね合わせは過渡期にすぎず、作品本来のエネルギーを解放してはいなかった。
表面に浮かぶ星や円のような、ありふれた形態こそが、絵画そのものとは異なる、より直接的な断裂をもたらす。その“日常性”と“平凡さ”こそが、絵画の経験からさらに離れ、生活の光景に近づく方向で持続すべきだ。それが作品の時間との関係をもたらす。
つまり、単純さこそが他の要素を動かす鍵であり、そのような“平凡”への真正な眼差しこそがエネルギーの源泉である。
特別な日を見つめるよりも、平凡な日常を見つめる方が、より大きな力を持つ。卵の殻そのものを正視するように、“ふつう”であることこそが、殻のようなエネルギーを宿すのだ。
《想法画(Idea Paintings)》の難しさは、まさにこの単純さを維持することにある。子どもの絵のように、極限まで純粋であること──それは容易ではない。
つまり、想法画とは、純粋さと簡潔さを保ち、既存の多くを手放すことに他ならない。簡潔であるからこそ、より大きな包容力と広がりを得ることができる。最新の作品には、その感覚が確かに宿っている。」 -
ジャオ・ヤオ《A Painting of Thought III-408》2024年 古布、アクリル 180 x 180 cm