オオタファインアーツでは、ジャオ・ヤオ(趙要・1981年中国生まれ)の日本初個展『まあ普通、でも・・・』を開催します。ジャオは中国で“80後(バーリンホウ)”と呼ばれる世代を代表するコンセプチュアル・アーティストで、その作品は絵画、インスタレーション、写真、ビデオ、パフォーマンスなど多岐にわたります。一貫した厳格さを持つコンセプチュアルな制作手法がキュレーターらの目に留まり、「タイランド・ビエンナーレ2025」やアメリカの歴史ある現代美術ビエンナーレに参加することも決定しました。今展では、ピラミデビルのオオタファインアーツでペインティングを、国立新美術館そばの7CHOMEで石を用いたインスタレーションを展示します。
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展示風景:『まあ普通、でも・・・』OTA FINE ARTS 7CHOME、東京 (2025年) 撮影:鐘ヶ江歓一7CHOMEにおける作品は、2017年に始まり、現在も継続している長期的なプロジェクトです。ジャオ・ヤオはこのシリーズを今後も時間をかけて続けていく意志を示しています。作品の起点となっているのは、チベット地域に古くから伝わる「マニ石(マニ・ストーン)」の文化です。現地では、赤い顔料で染めた石の上にチベット仏教の経文や祈祷文を刻む職人がいて、人々は彼らに依頼して石を制作します。こうして作られたマニ石は、健康や成功などを祈願する手段であると同時に、徳を積む行為でもあります。石に経を刻むという行為は、時間と信仰を蓄積していく行為として位置づけられており、この”時間”と”信仰”という二つの概念は、ジャオの作品においても中心的な主題となっています。展示室の壁には、青焼きで印刷された石の制作タイムラインが掲げられています。制作の記録を辿ることで、“刻む”という行為が、次第に時間や日常そのものと向き合う営みへと広がっていったことを感じ取ることができます。
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《Spirit Above All》シリーズの石
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2017年に本プロジェクトを始動した当初、ジャオはこの言葉を石に刻むという行為そのものに関心を寄せていました。展示や発表を目的とせず、ひたすら同じ言葉を繰り返し彫り続けています。彫刻を担うのは、チベットの職人ツァイガ氏です。彼は長年マニ石を手がけてきたため、当初は仏教経文を誤って刻んでしまうこともありましたが、そうした“間違い”さえも作品の過程として受け止め、すべてがタイムライン上に記録されています。
同一の語句・同一の素材・同一の工程で制作されながらも、各石には微妙な差異が生まれます。それは、日々同じ行為を繰り返す中で、わずかな変化を経験する私たちの生活にも通じるものであり、この繰り返しの行為を長い時間の中に置いて考察することこそが、本作の根幹にあるエネルギーであるといえます。ジャオはこの制作を“作文”に喩えています。ひとつの言葉を何度も繰り返し書くことは、一種の瞑想や祈りに似た行為であり、観る人にもまた、石に触れたり裏返したりしながら、自らの時間や経験について静かに思考することを促しています。
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プロジェクトにおいて最も重要なのは“時間軸(タイムライン)”であり、そこには2017年以降のすべての出来事と記録が蓄積されています。ツァイガ氏は制作の過程を写真や映像でジャオに送り、周囲の風景や音、現地の状況も併せて記録しました。それらはすべてプロジェクトの時間軸に統合されています。
当初は個人的で日記的な性格をもっていた記録は、時間の経過とともに深みを増していきました。ツァイガ氏の息子が亡くなった際、彼はマニ石の山を何度も巡りながら祈りを捧げたといいます。その出来事もまた、作品の一部として記録されています。こうして本作は、単なる文字の刻印から、時間と記憶を積層させる行為へと拡張していったのです。
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2020年1月23日《Something in the Air》、Kaze Village(青海省玉樹チベット族自治州ナンチェン県)2020年には、この石を携えて中国の五岳の一つである泰山の山頂へ運び、さらに他の山々にも配置しました。チベット文化や仏教に関心をもつ人々との出会いのなかで、石を手渡し、それぞれが別の土地へ持ち帰ることもあります。こうした一連の過程が、すべてプロジェクトの記録として蓄積されていきました。
また、このシリーズはその理念を引き継ぐかたちで、2019年の《Something in the Air》へと展開しています。この作品では、丸い石をモチーフに100万倍に拡大し、空気を封入した巨大なバルーン状のインスタレーションとして、精神の形なきエネルギーを可視化しています。
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展示風景:『まあ普通、でも・・・』OTA FINE ARTS 7CHOME、東京 (2025年) 撮影:鐘ヶ江歓一さらに、プロジェクトには《RGB-1》《RGB-2》という二冊の書籍が存在します。《RGB-1》はジャオが制作した赤い石のすべての色情報をデータ化したものであり、《RGB-2》は現地の人々が制作した本来のマニ石の色彩データを収録しています。いずれも石の表面の赤色を精密機器で測定し、摘出されたRGB値の数字を、ゴム印によって一つずつ手押しで印刷したもので、極めて繊細な作業によって構成されています。本展示では、その二冊が展示棚の上に開かれた状態で置かれており、観客の方々は自由にページを閲覧することができます。また、これらの書籍から派生した7.5cm角の印刷紙は、ピラミデビル内の展示空間の床にも散りばめられています。各データをカラーコード変換システムなどに読み込ませると、微妙に異なる“赤”として再現され、日常の繰り返しのなかに潜むわずかな差異の感覚を想起させます。書籍の最終ページに印刷されている「精臻紅(ジンジェンホン)」は、日本ペイント社が“チベットへの印象”をもとに開発した人工の赤色です。中国語における「精臻」とは、「精神を集中させる」「厳選する」という意味を持ち、この作品全体の象徴的な色として用いられています。




