Biography

クリス・ヒュン・シンカンは、自身の家族や身の回りの風景をおもに描いたペイティングを制作することで、「見る」という行為を通して人はどのように物事を理解するのかに焦点を当ててきました。
彼の技法は、水墨画の影響から抑えられた筆使いでモチーフを描くことに特徴づけられます。記憶を頼りに描かれたモチーフはどこかおぼろげですが、そこには独特の時間と空間の捉え方が見て取れます。ヒュンの作品には「認識する」ということが時間と空間を経て変化していくことが示唆されており、キャンバスに残された白い余白は忘れられた記憶を表現していると言えるでしょう。彼の作品に見られる立体感のねじれや異なる濃淡で表される光のコントラストは、一日の移ろいを複眼的に描写しているかのようで見る者を強く惹きつけます。
2021年に活動拠点を香港からイギリスに移して以降、ヒュンの視点には明確な変化が現れました。2022年のシンガポールでの個展「Blossoms in the Shade」では、それまでの室内中心の構図から屋外へと視点を移し、初めて体験した四季の移ろいや光の質感が、豊かな植生や木々の陰影、光のにじみとして描かれました。ヒュンの家族や犬たちがその風景の中を歩く様子が描かれつつ、背景の特異性は控えめに留められ、画面はより抽象的で幻想的な空間へと展開していきます。
2023年に東京で開催された個展「A Day in the Life」では、再び視点を室内へと戻し、自宅のキッチンやリビング、バスルームといった特定の空間を舞台としています。差し込む光がそれぞれの作品に固有の色調を与え、モチーフの筆使いはさらにおぼろげさを増しています。かつての作品では控えめながらも独立した存在として描かれていた家具や物体は、ここでは背景に溶け込んでしまいそうな淡さで描かれ、空間そのものに柔らかな揺らぎをもたらします。
現在も進行中である近作では、黒や赤といった強い色彩を背景に広く用いた野外のペインティングが登場しています。これまで白いキャンバスの余白が開けた空間として機能していたのに対し、黒は有色で閉ざされた印象をもちます。その中間にあたるような色を面として画面に置くことで、空白でも描写でもないあいまいな空間を表現しようとしています。濃い背景の上に、犬や植物などのモチーフが輪郭線だけで描かれ、視線の移動に応じてレイヤーの重なりが増減し、奥行きと時間が画面の中で静かに交錯していきます。記憶と感覚の間をたゆたうような視覚体験をもたらすこのシリーズは、ヒュンの実践のなかで今後どのように展開していくのかを静かに予感させます。

 

略歴
1991年 香港生まれ
2013年 香港中文大学美術学部卒業
現在   ロンドンを拠点に活動

 

主な個展
「I Do Nothing Everyday」CICA Vancouver (ヴァンクーバー、2024年)
「Next Door」Yuz美術館(上海、2023年)
「Artist-in-Residence Programme and Exhibition: Chris Huen Sin Kan」Royal Academy of Arts(ロンドン、2022年)

 

主なグループ展
「New Artistic Styles of Contemporary Painting」中国美術館, (北京、2024年)
「タイ・ビエンナーレ・コラート2021」Rajamangala University of Technology Isan(ナコンラチャシマ、2021–22年)
「Biennial of Painting – Inner Spaces」Dhondt-Dhaenens美術館(シント=マルテンス=ラーテム、ベルギー、2020年)

 

主な所蔵先
Art Gallery of New South Wales(シドニー)
Institute of Contemporary Art(マイアミ)
Kadist Art Foundation(パリ / サンフランシスコ)

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