メイド・イン・オキュパイド・ジャパン: ブブ+嶋田美子

Overview

私は過去何年かの作品の中で「戦争と女性」、特にアジアと日本の女性の性的役割の差異を考えてきました。しかし、近代史の中で日本の女の立場は、対アジアにおける「家族国家の一員としての母性的役割」だけではありません。対西欧においては、ほかのアジアの女性と同様「エキゾチックな性的対象」としての立場におかれてきました。アジア唯一の植民地国家である日本は同時に、その近代化、戦後の歴史を通じて西欧に文化的に植民地化され、その過程の中で日本の女は加害者/被害者、植民地主義者/被植民者の両方の立場に立ってきました。この両義牲を考えるために、今回は、戦後の日米関係の中で、日本の女のセクシュアリティがどのように構築されていったのかを考えたいと思います。

  私は米軍基地の町、立川で生まれ育ちました。そこでの米国と日本の軍事的、政治的、性的力関係に恐怖感と嫌悪感を抱きつつ、しかしアメリカナイズされた文化の中で育ち、高等教育を米国で受けた私は一種米国と日本のハイブリッドとしてあります。このプロジェクトは私自身の文化的、民族的、性的アイデンテイティを探ることでもあります。
  立川米軍第一ゲート跡は、現在「ファーレ立川」というパブリック・ アートの場となっています。国際的な現代アートによって基地の歴史は完全に隠蔽されています。「国際的」な文化とはその「場」の特異性とは無関係の「普遍的」なものなのでしょうか。私はアートによって隠されるこの「場」の記憶をアートによってもう一度覚醒させたいと思います。
  今回は女の「異装」の演技によって歴史の再検証を試みます。東洋/西洋、植民地/被植民地、日本/アジアの関係においては「男性性」「女性性」によるジェンダー化がなされてきました.このジェンダー化による分割統治をしてきたのは、男根中心主義的な力構造です.男根を持たない女達が、「異装」することによって男根中心で成り立ってきた性関係/力関係を演じることは、生物学的本質主義によらない、メタファーとしての男根による権力構造の実像をより明確に提示することを可能にするのではないかと思います.さらに、パロディとしての男根中心主義関係を演じることによって、男根の絶対的力という神話を解体することが出来るのでは、また、男根をオプションとして捉えることによって、ヘテロセクシュアルに擬されている力関係の呪縛から自由な視点を獲得できるのではないでしょうか.

 

嶋田美子


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むかしパンパンをやったひと、今パンパンをやっているひとに言いたい。
あなたはぜんぜん悪くない。

生きるために何がどれだけ必要なのかは、その人自身にしかわからないんだから。

 

「僕のお客のおじいちゃんは、戦争でニューギニアに行った話、同じ話をいつもする」 (売春夫・ 1998 ・ 京都)
「日本人のお客は、コンドームを使わないことが多い」(売春婦・・ 1997・ マニラ)
「日本人のお客は、優しい」(売春婦・ 1994・ シドニー)
「客って世界中どこに行っても同じことを言うねえ」(売春夫・ 1997・ ロサンゼルス)
「けっこう、安いよ」 (フィリピンで買春してきたサラリーマン・ 1997・ 大阪)

 

私が直接聞くことのできた証言。

売春婦・売春夫たちにどんな形容詞もつけないで。
かわいそうな、勇敢な、悲惨な、無知な、無垢な、狡猾な、繊細な、逞しい、優しい、賢い、愚かな…

言いたいことは、いっぱいある。
話したくないことを無理に話してほしいわけじゃない。

でも、それがなぜ話せないのか、その原因を私はやっぱり知りたい。

 

BuBu

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