第61回ベネチア・ビエンナーレ国際美術展 企画展『In Minor Keys』(構想:コヨ・クオ)にて: 嶋田美子+ブブ・ド・ラ・マドレーヌ|斃れし同志と堕天使のための行列

2026年5月6日 - 11月22日
  • 嶋田美子ブブ・ド・ラ・マドレーヌは、「61回ベネチア・ビエンナーレ国際美術展」(企画構想:コヨ・クオ)に招待され、企画グループ展『In Minor Keys』に参加しています。ふたりはそれぞれ個人としてジャルディーニ会場のセントラル・パビリオンに、嶋田+ブブのユニットとしてアルセナーレ会場に作品が展示されています。内覧会初日の202656日、ふたりは8名のパフォーマー、ミュージシャンとともに、アルセナーレ会場にてパフォーマンス斃れし同志と堕天使のための行列を行いました。

     

     


     

  • 《昭和怒羅亜愚地下系双六》と《斃れし同志と堕天使のための行列》

     

    ふたりが、今ビエンナーレのために制作したユニットとしての新作《昭和怒羅亜愚地下系双六》(2025年)は、十分に認識されていない戦後日本(19451989年)における社会正義のための政治運動・芸術運動を表象したものです。そこには、権力に対する住民運動、学生運動、反戦運動、フェミニズム運動、環境汚染への抗議活動、エイズやセックスワーカーの権利に関する活動といった、日本だけでなく世界で同時多発的に起こった運動や活動が描かれています。それらは、その時々に特定の人々を虐げてきた政治や社会に抗い、社会正義を実現しようとするものであったと言えます。

     

    パフォーマンスとして行ったプロセッション《斃れし同志と堕天使のための行列》は、立ち上がって行動しながらその道半ばで斃れていった人々を悼むための、また希望の見えない中でも希望を諦めない姿勢を示したかれらの人生を記憶し祝福するためのものとして構想されました。かれらの努力によって不十分ではあっても進歩した現在がある、そのことを胸に刻んでこそ未来が開けるとふたりは考えたのです。世界で圧倒的な力を持つ大国による虐殺や戦争がむしろ拡大するなか、わずかでも連帯による希望を感じられるものを目指しました。

  • 衣装 

     

    ブブは、イタリア映画の巨匠、フェデリコ・フェリーニの映画『カビリアの夜』の主人公である娼婦をイメージした姿で行列を先導しました。絶望の淵にいた主人公がふらふらと立ち上がり、どこからともなくやってきた若者たちの音楽に促されるように徐々に笑みを取り戻して歩き出すラストシーンは、プロセッションのイメージソースのひとつでした。

     

    「赤い傘」はセックスワーカーの権利を象徴するシンボルアイテムです。2001年のベネチア・ビエンナーレにおいて、セックスワーカーたちが赤い傘を掲げて人権侵害への抗議活動を行ったことにその起源があります。1980年代のエイズ・アクティビズム、セックスワーカー・アクティビズムを表象した昭和双六の7マス目にも、同じセックスワーカーの姿があります。

  • 嶋田は自身の出身地、東京・立川で1955年~1960年代に起こった「砂川闘争」に参加する農婦を演じています。昭和双六の2マス目にも登場する「砂川闘争」は、在日米軍基地の拡張に抗って農家の人々が中心となって行った住民運動です。先祖伝来の農地を守るために国に立ち向かった住民らの激しい抵抗の末、米軍は1968年に拡張計画の中止を発表しました。この闘争は、権力に対する民衆の勝利の歴史として知られています。

     

    このマス目の絵は、今年1月に亡くなった中村宏さんのルポルタージュ絵画《砂川五番》(1955年)へのオマージュで、絵を掲げるのも、中村宏さんによる前衛美術グループ「観光芸術研究所」が100号絵画を掲げて東京駅のまわりを歩いた「路上歩行展」(1964年)へのオマージュです。

     

    さらに嶋田は、5月8日にこの扮装でアメリカの軍事帝国主義に対する抗議アクションを行います。ジャルディーニ会場のアメリカ館前でひとり絵を掲げ、サイレントで「ヤンキー・ゴー・ホーム」を訴えました。

  • パフォーマーやミュージシャンたちも、自らの主張やアイデンティティに即した衣装を纏いました。ドラァグクイーン仕様の喪服、ピンク・トライアングル(歴史的な迫害を忘れずにLGBTQ+の権利や平等を求める運動のシンボル)、亡くなったセックスワーカー活動家へのオマージュ、拘束衣と仮面、生と死とを行き来するゾンビ、癒しの響きを奏でる天使。日本とヨーロッパから集まったかれらは、自身のバックグラウンドを反映しつつ今回のプロセッションにふさわしい衣装を考えて用意しました。

  • ピンクと旗 プロセッションの一団は、LGBTQ+を象徴する色でもあるピンク色の旗を掲げて歩きました。この旗には様々な言語で「I’m here」と刺繍されています。嶋田主催のオンライン国際会議「Radical Spiritualism」(2020年)におけるKate Justさんのワークショップで、世界各国の参加者が刺繍したたくさんの生地を、パッチワークして作ったものです。 「ピンク」と「旗」は、嶋田とブブにとって重要な意味を持ちます。セントラル・パビリオンに展示されている《おまえが決めるな!》シリーズで、嶋田がフォーカスした1970年代のフェミニストグループ「中ピ連」のシンボルアイテムは、ピンクのヘルメットでした。中ピ連は昭和双六の5マス目にも描かれています。 ブブは、同じくセントラル・パビリオンに展示されている《人魚の領土―旗と内臓》シリーズにおいて、万国旗のように空に向かってはためく小さな旗の連なりを、呪縛からの解放とそれへの祝福を象徴するものとして表象しました。 プロセッションの道中、パフォーマーは嶋田とブブのアイコンが入った小さなピンクの手旗を配りながら、観客にプロセッションに加わることを促しました。抵抗、解放、祝福、様々なものを象徴する小さく鮮やかなピンクの旗は、プロセッションの一団と観客との「連帯」を可視化するツールともなりました。 ピンクと旗 プロセッションの一団は、LGBTQ+を象徴する色でもあるピンク色の旗を掲げて歩きました。この旗には様々な言語で「I’m here」と刺繍されています。嶋田主催のオンライン国際会議「Radical Spiritualism」(2020年)におけるKate Justさんのワークショップで、世界各国の参加者が刺繍したたくさんの生地を、パッチワークして作ったものです。 「ピンク」と「旗」は、嶋田とブブにとって重要な意味を持ちます。セントラル・パビリオンに展示されている《おまえが決めるな!》シリーズで、嶋田がフォーカスした1970年代のフェミニストグループ「中ピ連」のシンボルアイテムは、ピンクのヘルメットでした。中ピ連は昭和双六の5マス目にも描かれています。 ブブは、同じくセントラル・パビリオンに展示されている《人魚の領土―旗と内臓》シリーズにおいて、万国旗のように空に向かってはためく小さな旗の連なりを、呪縛からの解放とそれへの祝福を象徴するものとして表象しました。 プロセッションの道中、パフォーマーは嶋田とブブのアイコンが入った小さなピンクの手旗を配りながら、観客にプロセッションに加わることを促しました。抵抗、解放、祝福、様々なものを象徴する小さく鮮やかなピンクの旗は、プロセッションの一団と観客との「連帯」を可視化するツールともなりました。 ピンクと旗 プロセッションの一団は、LGBTQ+を象徴する色でもあるピンク色の旗を掲げて歩きました。この旗には様々な言語で「I’m here」と刺繍されています。嶋田主催のオンライン国際会議「Radical Spiritualism」(2020年)におけるKate Justさんのワークショップで、世界各国の参加者が刺繍したたくさんの生地を、パッチワークして作ったものです。 「ピンク」と「旗」は、嶋田とブブにとって重要な意味を持ちます。セントラル・パビリオンに展示されている《おまえが決めるな!》シリーズで、嶋田がフォーカスした1970年代のフェミニストグループ「中ピ連」のシンボルアイテムは、ピンクのヘルメットでした。中ピ連は昭和双六の5マス目にも描かれています。 ブブは、同じくセントラル・パビリオンに展示されている《人魚の領土―旗と内臓》シリーズにおいて、万国旗のように空に向かってはためく小さな旗の連なりを、呪縛からの解放とそれへの祝福を象徴するものとして表象しました。 プロセッションの道中、パフォーマーは嶋田とブブのアイコンが入った小さなピンクの手旗を配りながら、観客にプロセッションに加わることを促しました。抵抗、解放、祝福、様々なものを象徴する小さく鮮やかなピンクの旗は、プロセッションの一団と観客との「連帯」を可視化するツールともなりました。 ピンクと旗 プロセッションの一団は、LGBTQ+を象徴する色でもあるピンク色の旗を掲げて歩きました。この旗には様々な言語で「I’m here」と刺繍されています。嶋田主催のオンライン国際会議「Radical Spiritualism」(2020年)におけるKate Justさんのワークショップで、世界各国の参加者が刺繍したたくさんの生地を、パッチワークして作ったものです。 「ピンク」と「旗」は、嶋田とブブにとって重要な意味を持ちます。セントラル・パビリオンに展示されている《おまえが決めるな!》シリーズで、嶋田がフォーカスした1970年代のフェミニストグループ「中ピ連」のシンボルアイテムは、ピンクのヘルメットでした。中ピ連は昭和双六の5マス目にも描かれています。 ブブは、同じくセントラル・パビリオンに展示されている《人魚の領土―旗と内臓》シリーズにおいて、万国旗のように空に向かってはためく小さな旗の連なりを、呪縛からの解放とそれへの祝福を象徴するものとして表象しました。 プロセッションの道中、パフォーマーは嶋田とブブのアイコンが入った小さなピンクの手旗を配りながら、観客にプロセッションに加わることを促しました。抵抗、解放、祝福、様々なものを象徴する小さく鮮やかなピンクの旗は、プロセッションの一団と観客との「連帯」を可視化するツールともなりました。 ピンクと旗 プロセッションの一団は、LGBTQ+を象徴する色でもあるピンク色の旗を掲げて歩きました。この旗には様々な言語で「I’m here」と刺繍されています。嶋田主催のオンライン国際会議「Radical Spiritualism」(2020年)におけるKate Justさんのワークショップで、世界各国の参加者が刺繍したたくさんの生地を、パッチワークして作ったものです。 「ピンク」と「旗」は、嶋田とブブにとって重要な意味を持ちます。セントラル・パビリオンに展示されている《おまえが決めるな!》シリーズで、嶋田がフォーカスした1970年代のフェミニストグループ「中ピ連」のシンボルアイテムは、ピンクのヘルメットでした。中ピ連は昭和双六の5マス目にも描かれています。 ブブは、同じくセントラル・パビリオンに展示されている《人魚の領土―旗と内臓》シリーズにおいて、万国旗のように空に向かってはためく小さな旗の連なりを、呪縛からの解放とそれへの祝福を象徴するものとして表象しました。 プロセッションの道中、パフォーマーは嶋田とブブのアイコンが入った小さなピンクの手旗を配りながら、観客にプロセッションに加わることを促しました。抵抗、解放、祝福、様々なものを象徴する小さく鮮やかなピンクの旗は、プロセッションの一団と観客との「連帯」を可視化するツールともなりました。 ピンクと旗 プロセッションの一団は、LGBTQ+を象徴する色でもあるピンク色の旗を掲げて歩きました。この旗には様々な言語で「I’m here」と刺繍されています。嶋田主催のオンライン国際会議「Radical Spiritualism」(2020年)におけるKate Justさんのワークショップで、世界各国の参加者が刺繍したたくさんの生地を、パッチワークして作ったものです。 「ピンク」と「旗」は、嶋田とブブにとって重要な意味を持ちます。セントラル・パビリオンに展示されている《おまえが決めるな!》シリーズで、嶋田がフォーカスした1970年代のフェミニストグループ「中ピ連」のシンボルアイテムは、ピンクのヘルメットでした。中ピ連は昭和双六の5マス目にも描かれています。 ブブは、同じくセントラル・パビリオンに展示されている《人魚の領土―旗と内臓》シリーズにおいて、万国旗のように空に向かってはためく小さな旗の連なりを、呪縛からの解放とそれへの祝福を象徴するものとして表象しました。 プロセッションの道中、パフォーマーは嶋田とブブのアイコンが入った小さなピンクの手旗を配りながら、観客にプロセッションに加わることを促しました。抵抗、解放、祝福、様々なものを象徴する小さく鮮やかなピンクの旗は、プロセッションの一団と観客との「連帯」を可視化するツールともなりました。 ピンクと旗 プロセッションの一団は、LGBTQ+を象徴する色でもあるピンク色の旗を掲げて歩きました。この旗には様々な言語で「I’m here」と刺繍されています。嶋田主催のオンライン国際会議「Radical Spiritualism」(2020年)におけるKate Justさんのワークショップで、世界各国の参加者が刺繍したたくさんの生地を、パッチワークして作ったものです。 「ピンク」と「旗」は、嶋田とブブにとって重要な意味を持ちます。セントラル・パビリオンに展示されている《おまえが決めるな!》シリーズで、嶋田がフォーカスした1970年代のフェミニストグループ「中ピ連」のシンボルアイテムは、ピンクのヘルメットでした。中ピ連は昭和双六の5マス目にも描かれています。 ブブは、同じくセントラル・パビリオンに展示されている《人魚の領土―旗と内臓》シリーズにおいて、万国旗のように空に向かってはためく小さな旗の連なりを、呪縛からの解放とそれへの祝福を象徴するものとして表象しました。 プロセッションの道中、パフォーマーは嶋田とブブのアイコンが入った小さなピンクの手旗を配りながら、観客にプロセッションに加わることを促しました。抵抗、解放、祝福、様々なものを象徴する小さく鮮やかなピンクの旗は、プロセッションの一団と観客との「連帯」を可視化するツールともなりました。 ピンクと旗 プロセッションの一団は、LGBTQ+を象徴する色でもあるピンク色の旗を掲げて歩きました。この旗には様々な言語で「I’m here」と刺繍されています。嶋田主催のオンライン国際会議「Radical Spiritualism」(2020年)におけるKate Justさんのワークショップで、世界各国の参加者が刺繍したたくさんの生地を、パッチワークして作ったものです。 「ピンク」と「旗」は、嶋田とブブにとって重要な意味を持ちます。セントラル・パビリオンに展示されている《おまえが決めるな!》シリーズで、嶋田がフォーカスした1970年代のフェミニストグループ「中ピ連」のシンボルアイテムは、ピンクのヘルメットでした。中ピ連は昭和双六の5マス目にも描かれています。 ブブは、同じくセントラル・パビリオンに展示されている《人魚の領土―旗と内臓》シリーズにおいて、万国旗のように空に向かってはためく小さな旗の連なりを、呪縛からの解放とそれへの祝福を象徴するものとして表象しました。 プロセッションの道中、パフォーマーは嶋田とブブのアイコンが入った小さなピンクの手旗を配りながら、観客にプロセッションに加わることを促しました。抵抗、解放、祝福、様々なものを象徴する小さく鮮やかなピンクの旗は、プロセッションの一団と観客との「連帯」を可視化するツールともなりました。 ピンクと旗 プロセッションの一団は、LGBTQ+を象徴する色でもあるピンク色の旗を掲げて歩きました。この旗には様々な言語で「I’m here」と刺繍されています。嶋田主催のオンライン国際会議「Radical Spiritualism」(2020年)におけるKate Justさんのワークショップで、世界各国の参加者が刺繍したたくさんの生地を、パッチワークして作ったものです。 「ピンク」と「旗」は、嶋田とブブにとって重要な意味を持ちます。セントラル・パビリオンに展示されている《おまえが決めるな!》シリーズで、嶋田がフォーカスした1970年代のフェミニストグループ「中ピ連」のシンボルアイテムは、ピンクのヘルメットでした。中ピ連は昭和双六の5マス目にも描かれています。 ブブは、同じくセントラル・パビリオンに展示されている《人魚の領土―旗と内臓》シリーズにおいて、万国旗のように空に向かってはためく小さな旗の連なりを、呪縛からの解放とそれへの祝福を象徴するものとして表象しました。 プロセッションの道中、パフォーマーは嶋田とブブのアイコンが入った小さなピンクの手旗を配りながら、観客にプロセッションに加わることを促しました。抵抗、解放、祝福、様々なものを象徴する小さく鮮やかなピンクの旗は、プロセッションの一団と観客との「連帯」を可視化するツールともなりました。

    ピンクと旗

     

    プロセッションの一団は、LGBTQ+を象徴する色でもあるピンク色の旗を掲げて歩きました。この旗には様々な言語で「I’m here」と刺繍されています。嶋田主催のオンライン国際会議「Radical Spiritualism」(2020年)におけるKate Justさんのワークショップで、世界各国の参加者が刺繍したたくさんの生地を、パッチワークして作ったものです。

     

    「ピンク」と「旗」は、嶋田とブブにとって重要な意味を持ちます。セントラル・パビリオンに展示されている《おまえが決めるな!》シリーズで、嶋田がフォーカスした1970年代のフェミニストグループ「中ピ連」のシンボルアイテムは、ピンクのヘルメットでした。中ピ連は昭和双六の5マス目にも描かれています。


    ブブは、同じくセントラル・パビリオンに展示されている《人魚の領土―旗と内臓》シリーズにおいて、万国旗のように空に向かってはためく小さな旗の連なりを、呪縛からの解放とそれへの祝福を象徴するものとして表象しました。


    プロセッションの道中、パフォーマーは嶋田とブブのアイコンが入った小さなピンクの手旗を配りながら、観客にプロセッションに加わることを促しました。抵抗、解放、祝福、様々なものを象徴する小さく鮮やかなピンクの旗は、プロセッションの一団と観客との「連帯」を可視化するツールともなりました。

  • パフォーマンス プロセッションの道中、嶋田、ブブ、パフォーマーたちは死者を悼むパフォーマンスを行いました。ひとりひとりが「斃れし同志」を偲ぶアイテムを観客に見せてゆきます。記録を意味するノート、戻るべき故郷の家の鍵、自分を隠すための仮面、セックスワーカーを追悼するハート、憩いの時間を与えていたであろう煙草。しかし、観客の同情を拒否するように、農婦はそれら「遺品」を淡々と片付けます。 その後、死者を悼むパフォーマーたちはこの世界に絶望して泣き、そして何かを喰らいます。生き残った者は絶望しながらも食べてゆかなければいけません。しかし食べるということは、少なからず他者の命を犠牲にします。生きてゆく限り喰らい続けることの野蛮さと、それでも生きて何をか為さんとする逞しさ、それは生者の業とも言えるでしょう。 昭和双六は1945年の敗戦から始まり、1989年の昭和天皇の死、それに続くバブル経済の崩壊、そして以降の終わりなき下降を示す「下り」のマス目で終わります。地獄図を描いた最後のマス目は、世界が現在目撃している様々な絶望的状況を暗示しています。 一方プロセッションのフィナーレでは、パフォーマーたちは軽やかな音楽につられてぎこちなく踊り出します。「未来」を担う赤ちゃんに扮した観客の若者たちも、それを真似して楽しげに踊り出します。絶望の中で音楽に背中を押されて動き出す様子、若者たちの笑顔は、『カビリアの夜』のラストシーンが描く「希望」を彷彿させます。 パフォーマンス プロセッションの道中、嶋田、ブブ、パフォーマーたちは死者を悼むパフォーマンスを行いました。ひとりひとりが「斃れし同志」を偲ぶアイテムを観客に見せてゆきます。記録を意味するノート、戻るべき故郷の家の鍵、自分を隠すための仮面、セックスワーカーを追悼するハート、憩いの時間を与えていたであろう煙草。しかし、観客の同情を拒否するように、農婦はそれら「遺品」を淡々と片付けます。 その後、死者を悼むパフォーマーたちはこの世界に絶望して泣き、そして何かを喰らいます。生き残った者は絶望しながらも食べてゆかなければいけません。しかし食べるということは、少なからず他者の命を犠牲にします。生きてゆく限り喰らい続けることの野蛮さと、それでも生きて何をか為さんとする逞しさ、それは生者の業とも言えるでしょう。 昭和双六は1945年の敗戦から始まり、1989年の昭和天皇の死、それに続くバブル経済の崩壊、そして以降の終わりなき下降を示す「下り」のマス目で終わります。地獄図を描いた最後のマス目は、世界が現在目撃している様々な絶望的状況を暗示しています。 一方プロセッションのフィナーレでは、パフォーマーたちは軽やかな音楽につられてぎこちなく踊り出します。「未来」を担う赤ちゃんに扮した観客の若者たちも、それを真似して楽しげに踊り出します。絶望の中で音楽に背中を押されて動き出す様子、若者たちの笑顔は、『カビリアの夜』のラストシーンが描く「希望」を彷彿させます。 パフォーマンス プロセッションの道中、嶋田、ブブ、パフォーマーたちは死者を悼むパフォーマンスを行いました。ひとりひとりが「斃れし同志」を偲ぶアイテムを観客に見せてゆきます。記録を意味するノート、戻るべき故郷の家の鍵、自分を隠すための仮面、セックスワーカーを追悼するハート、憩いの時間を与えていたであろう煙草。しかし、観客の同情を拒否するように、農婦はそれら「遺品」を淡々と片付けます。 その後、死者を悼むパフォーマーたちはこの世界に絶望して泣き、そして何かを喰らいます。生き残った者は絶望しながらも食べてゆかなければいけません。しかし食べるということは、少なからず他者の命を犠牲にします。生きてゆく限り喰らい続けることの野蛮さと、それでも生きて何をか為さんとする逞しさ、それは生者の業とも言えるでしょう。 昭和双六は1945年の敗戦から始まり、1989年の昭和天皇の死、それに続くバブル経済の崩壊、そして以降の終わりなき下降を示す「下り」のマス目で終わります。地獄図を描いた最後のマス目は、世界が現在目撃している様々な絶望的状況を暗示しています。 一方プロセッションのフィナーレでは、パフォーマーたちは軽やかな音楽につられてぎこちなく踊り出します。「未来」を担う赤ちゃんに扮した観客の若者たちも、それを真似して楽しげに踊り出します。絶望の中で音楽に背中を押されて動き出す様子、若者たちの笑顔は、『カビリアの夜』のラストシーンが描く「希望」を彷彿させます。 パフォーマンス プロセッションの道中、嶋田、ブブ、パフォーマーたちは死者を悼むパフォーマンスを行いました。ひとりひとりが「斃れし同志」を偲ぶアイテムを観客に見せてゆきます。記録を意味するノート、戻るべき故郷の家の鍵、自分を隠すための仮面、セックスワーカーを追悼するハート、憩いの時間を与えていたであろう煙草。しかし、観客の同情を拒否するように、農婦はそれら「遺品」を淡々と片付けます。 その後、死者を悼むパフォーマーたちはこの世界に絶望して泣き、そして何かを喰らいます。生き残った者は絶望しながらも食べてゆかなければいけません。しかし食べるということは、少なからず他者の命を犠牲にします。生きてゆく限り喰らい続けることの野蛮さと、それでも生きて何をか為さんとする逞しさ、それは生者の業とも言えるでしょう。 昭和双六は1945年の敗戦から始まり、1989年の昭和天皇の死、それに続くバブル経済の崩壊、そして以降の終わりなき下降を示す「下り」のマス目で終わります。地獄図を描いた最後のマス目は、世界が現在目撃している様々な絶望的状況を暗示しています。 一方プロセッションのフィナーレでは、パフォーマーたちは軽やかな音楽につられてぎこちなく踊り出します。「未来」を担う赤ちゃんに扮した観客の若者たちも、それを真似して楽しげに踊り出します。絶望の中で音楽に背中を押されて動き出す様子、若者たちの笑顔は、『カビリアの夜』のラストシーンが描く「希望」を彷彿させます。 パフォーマンス プロセッションの道中、嶋田、ブブ、パフォーマーたちは死者を悼むパフォーマンスを行いました。ひとりひとりが「斃れし同志」を偲ぶアイテムを観客に見せてゆきます。記録を意味するノート、戻るべき故郷の家の鍵、自分を隠すための仮面、セックスワーカーを追悼するハート、憩いの時間を与えていたであろう煙草。しかし、観客の同情を拒否するように、農婦はそれら「遺品」を淡々と片付けます。 その後、死者を悼むパフォーマーたちはこの世界に絶望して泣き、そして何かを喰らいます。生き残った者は絶望しながらも食べてゆかなければいけません。しかし食べるということは、少なからず他者の命を犠牲にします。生きてゆく限り喰らい続けることの野蛮さと、それでも生きて何をか為さんとする逞しさ、それは生者の業とも言えるでしょう。 昭和双六は1945年の敗戦から始まり、1989年の昭和天皇の死、それに続くバブル経済の崩壊、そして以降の終わりなき下降を示す「下り」のマス目で終わります。地獄図を描いた最後のマス目は、世界が現在目撃している様々な絶望的状況を暗示しています。 一方プロセッションのフィナーレでは、パフォーマーたちは軽やかな音楽につられてぎこちなく踊り出します。「未来」を担う赤ちゃんに扮した観客の若者たちも、それを真似して楽しげに踊り出します。絶望の中で音楽に背中を押されて動き出す様子、若者たちの笑顔は、『カビリアの夜』のラストシーンが描く「希望」を彷彿させます。 パフォーマンス プロセッションの道中、嶋田、ブブ、パフォーマーたちは死者を悼むパフォーマンスを行いました。ひとりひとりが「斃れし同志」を偲ぶアイテムを観客に見せてゆきます。記録を意味するノート、戻るべき故郷の家の鍵、自分を隠すための仮面、セックスワーカーを追悼するハート、憩いの時間を与えていたであろう煙草。しかし、観客の同情を拒否するように、農婦はそれら「遺品」を淡々と片付けます。 その後、死者を悼むパフォーマーたちはこの世界に絶望して泣き、そして何かを喰らいます。生き残った者は絶望しながらも食べてゆかなければいけません。しかし食べるということは、少なからず他者の命を犠牲にします。生きてゆく限り喰らい続けることの野蛮さと、それでも生きて何をか為さんとする逞しさ、それは生者の業とも言えるでしょう。 昭和双六は1945年の敗戦から始まり、1989年の昭和天皇の死、それに続くバブル経済の崩壊、そして以降の終わりなき下降を示す「下り」のマス目で終わります。地獄図を描いた最後のマス目は、世界が現在目撃している様々な絶望的状況を暗示しています。 一方プロセッションのフィナーレでは、パフォーマーたちは軽やかな音楽につられてぎこちなく踊り出します。「未来」を担う赤ちゃんに扮した観客の若者たちも、それを真似して楽しげに踊り出します。絶望の中で音楽に背中を押されて動き出す様子、若者たちの笑顔は、『カビリアの夜』のラストシーンが描く「希望」を彷彿させます。

    パフォーマンス

     

    プロセッションの道中、嶋田、ブブ、パフォーマーたちは死者を悼むパフォーマンスを行いました。ひとりひとりが「斃れし同志」を偲ぶアイテムを観客に見せてゆきます。記録を意味するノート、戻るべき故郷の家の鍵、自分を隠すための仮面、セックスワーカーを追悼するハート、憩いの時間を与えていたであろう煙草。しかし、観客の同情を拒否するように、農婦はそれら「遺品」を淡々と片付けます。

     

    その後、死者を悼むパフォーマーたちはこの世界に絶望して泣き、そして何かを喰らいます。生き残った者は絶望しながらも食べてゆかなければいけません。しかし食べるということは、少なからず他者の命を犠牲にします。生きてゆく限り喰らい続けることの野蛮さと、それでも生きて何をか為さんとする逞しさ、それは生者の業とも言えるでしょう。

     

    昭和双六は1945年の敗戦から始まり、1989年の昭和天皇の死、それに続くバブル経済の崩壊、そして以降の終わりなき下降を示す「下り」のマス目で終わります。地獄図を描いた最後のマス目は、世界が現在目撃している様々な絶望的状況を暗示しています。

     

    一方プロセッションのフィナーレでは、パフォーマーたちは軽やかな音楽につられてぎこちなく踊り出します。「未来」を担う赤ちゃんに扮した観客の若者たちも、それを真似して楽しげに踊り出します。絶望の中で音楽に背中を押されて動き出す様子、若者たちの笑顔は、『カビリアの夜』のラストシーンが描く「希望」を彷彿させます。

  • 最後に、パフォーマーたちはピンクのバラを観客に手渡します。ブブはビデオ作品《LA DOLCE VITA》(2001年)で、亡くなった友人に見立てたバラを川に投げ入れて死者を追悼しました。プロセッションでは、「斃れし同志」たちを追悼するためのバラは、亡き人々の記憶を共有し継承するために、観客へと手渡されました。

  • 第61回ベネチア・ビエンナーレ『In Minor Keys』(企画構想:コヨ・クオ)

    公式パフォーマンス『斃れし同志と堕天使のための行列』

     

    2026年5月6日 15:00-15:50

    公演場所:アルセナーレ屋外

     

    記録映像の編集版をYoutubeにて公開しています。

    Click here!

  • Press clippings